昨年古希を迎え今年の3月末をもってお役目ごめん退職の運びとなりました。
先日就活もかねて自宅の書籍の整理をしていると、50年前(我が青春時代)興味を持つて読み漁った本が見つかり、懐かしさのあまりページをめくりました。落書き等懐かしく、その時代になにを感じて生きていたのかと、涙腺が緩んでしまいました。
70歳以上の方には読まれた方もいらっしゃると思いますが、本多勝一著「貧困なる精神」その中でも年日を感じさせない色褪せない論説の一部を紹介いたします。
1.田中角栄は有罪か無罪か?
(アンケート)
(回 答)
2.モノサシ教育の破壊を
人間には実に多様な能力があり、子供はそれを様々な形で発芽させようとしている。
だが今の教育体制は、子供のうちにその芽を刈り取つて文部省の定めた一本のモノサシだけに価値を置き、そのモノサシに合った一部「受験秀才」型能力だけ、それだけを認知し、それ以外はすべて「落ちこぼれ人間」に仕立てている。
こんなモノサシがいかに有害で馬鹿げたものかを、先生方は現場で教え諭してほしい。
3.近頃の中年・老年は
「近頃の若い者は電車の席も譲らん」などという事はあまり言えたものではない、中年や初老(?)の連中だって例えばこんなこともある。
ある日のこと電車が満員、立っている人も数人、2人掛けの席に60歳前後の女性1人座り、横に大型のカバンを置いていた、その眼前に立っている私におかまいなく、彼女は2人分の席を1人で占領したままである。
発車、私は意地悪くわざと彼女の膝すれすれまで寄って立っ、気付いてみたら左側の2人掛けの席にも同年配の紳士がいて横に鞄と新聞を置き1人で占領している、その後立っている私の眼下で居眠りを始めた、紳士もほぼ同時に目を閉じた。
「座らせてください」と私は断固たる調子で言い彼女の横に座った、驚くべきことに、彼女は反対側の紳士の横に行ってそれぞれの持ち物を膝に乗せ、2人掛けになった、どうやら2人は夫婦らしいのだ。
半世紀前の論説が現在にも当てはまる、進歩なき我人間様。
広島総合税理士法人