改めて自分の住んでいる街というものを見返してみることがあります。
ここ数年、事務所のパンフレットやWEBサイトを作成するプロジェクトに関わり、
その背景となる写真を何度となく撮りに行ったこともあって、
俯瞰してみると、広島の街は意外にも美しいものですね。
下の写真は当サイトのコンセプトページにも掲げられているもので、
自宅で空を睨みながら、雲が出なさそうな時を見計らって、
現地に急行し、遮蔽物を避けながらやっとのことで撮ったものです。
ちなみにこの写真、どこから撮影したものか、構図で分かりますか?
答えは・・・・
・・・・二葉山の仏舎利塔上から撮影したものなんですね。
猿猴川が曲折するところから、宮島までの全景が入るようにしており、
「ヒロシマ」が「広島」を取り戻してきたのが肌で感じられるほどで、
中央の広島駅近辺は、近時の再開発で見違えるようです。
撮影当時は、仏舎利塔の近辺が一番広島をよく捉えてて、きれいかなと思い、
他にも東照宮の裏を登ったり、竜王公園に行ってみたりしたのですが、イマイチで、
迷いなくここに決めた思い出があります。
自分はたまに時間が空くと、
散歩がてら、普段行かないようなところに歩いて行ったりします。
街並みを眺めながら、
「こんなとこに売地が出てるな」とか、
「この立地でこの構えだと、日々の売上はこの程度必要だから・・・」とか、
職業病を全開にして、てくてく歩いています。
そんなときにある風景に出くわしました。
歩いているとき分かれ道になると、
楽しそうな方、というかより隘路を選ぶようにしていて、
それをどんどん進んでいってたどり着いたところです。
さて、どこでしょう。
答えは、見立山山頂です。
(巨石の上から撮っています、爽快です)
広島で生まれ、広島で育ち、途中いろいろあっても、広島で生きている自分ですが、
恥ずかしながら知りませんでした、見立山。
時は遡り、天正17年(1589年)、
西国の覇者・毛利氏は吉田郡山から平城を求め南下し、
次なる拠点を探して、二葉山・己斐山に登り、築城箇所を思案した挙句、
最後の最後にこの見立山に登り、
当時いくつかの島地だった中で一番広い島であったこの広島の地に拠を構えることとなりました。
(広島の地を見立てたということで、“見立山”となったとされています)
毛利輝元も同じ巨石の上からこの風景を見渡し、
広島の開祖となっていったのですね、感慨深いものがあります。
(当時は「在間」と呼ばれていたようですが、「広島」になっていきます)
時代やバックグラウンドが移り変わっても、
人の心を打つようなモノには変わりがないのかもしれませんね。
今日までそして明日から
広島総合税理士法人